珈琲屋さんをやる

 結婚を機に、東京から妻の故郷である、山形県鶴岡市に移住した。移住を機に時間を自由に使える職種にしようと思った。前職のシステムエンジニアは20年以上の経歴。子供の頃周りの友達がファミコンで遊んでいる中、当時は珍しかったNEC製のパソコンでプログラムを組んでいた期間を足すと、人生の中の大半がエンジニア生活といっても良いくらいコンピューターと向き合う時間が多かった。それをいきなり「珈琲屋」になるって、周りから「これからの職業なのに、もったいない」と言われた。私はそうは思っていない。いや、もうシステムエンジニアは先端の職業ではないと思っている。

 世の中、スマホやPC、ゲーム機など高度なコンピューターに溢れている。使う期間は多いというか、当たり前に使っている。もう欠かせないインフラだ。エンジニアの時代は大企業のホームページの管理や証券、銀行、予解約管理、あげれば切りがないくらい色々なシステムに携わった。利用者がいつでも使えるインフラを支えるエンジニアとして綿密な計画と実施、緊急事態に備えた計画立案など想定できるケースを大勢で議論し立案し実行をしてきた。しかし、システムは連携や集合を重ね、とても今までの人材ではコントロールできなくなってきた。管理コストは膨らむ、しかしこれ以上のコスト増加は許されない。アウトソース、私が最後に携わってきたプロジェクトでは、いつしか外部それも海外に丸ごと投げていた。外部に投げる為のシステムエンジニア。それが先端の仕事なのか。ニーズと言えばそうかもしれないが、何か自分に残るものがない、空虚さを感じていた。空虚さは次第に働く意義、関わっている人々の為になっているのか、色々思いが巡ってきた。

 移住する事が決まった時、システムエンジニアをやることも、正直頭の片隅にあった。でも、自分が一生懸命働いた時間が感じてしまった空虚感、システム的にいうとnullで埋まるのは嫌だった。子供も出来きた。その子に私が生きた時間を胸をはって話せる証が欲しいとおもった。「珈琲屋さん」前職とかけ離れている様だが、私からしてみれば同じだ。お客さまのニーズをとらえコーヒーというインフラを支える。世界中から取り寄せるコーヒー豆生産国の政治、経済情勢もおさえ、リスクも分散しなければならない。システムが停止しない様にディザスタリカバリやコンチプランの様な考え方も同じだ。だた決定的な違いは「珈琲屋さん」はお客さまにコーヒーを買って頂けなければいけない。システムエンジニアは結果はどうであれ、費やした時間に対してお金は支払ってもらえる。もちろん、失敗すれば次の案件が回ってこないかもしれないが、慢性的な人材不足のエンジニア業界ではほとんど心配しなくても良い。「珈琲屋さん」は違う。お客さまに合わないと買ってもらえない、つまりは淘汰される。厳しい。執筆時点で丸4年経つが、肌身に感じて、厳しいと感じる。そう考えると、今まで経験してきた事柄を全て投入する事が求められる。

 厳しい「珈琲屋さん」の経営を選んだ。大変なのは言うまでもないが、仕事をして人から感謝されるのは経験がなかった、というか初めてだった。エンジニアは「出来て当たり前」であって決して感謝されることはない。ネガティブな事柄をいかに少なく済ますかがエンジニアの仕事だ。珈琲屋さんを始めて、お客さまから頂く印象は喜怒哀楽は別として、全てポジティブなものばかりだ。ここは大きく違う。これが「やりがい」というところに繋がっていくのかと、感じた。「珈琲屋さんをやる」小さくて不安定で心もとない店だが、私は自分の持っている英知を結集して、今日も焙煎をする。それに値する職業だと思う。

千一珈琲の店主